アルバム「海は恋してる」より当時のメンバー紹介


★ 新田 和長
(商学部4年、ギター)

★  武藤 敏史
(政経学部2年、ギター)

★  内山 修
(商学部2年、ベース)


★ 吉田 光夫
(政経学部2年、ギター、バンジョー)


★ 常富 喜雄
(理工学部2年、ギター)

 都の西北、早稲田の社に培われてきた伝統ある早稲田精神を受け継ぎ、柔和な顔立ちに似ず、いいたいことはズバリと言ってのける芯の強さを持っている。責任感も人一倍強く、まさにグループのリーダーとしてはうってつけの男である。
 ただ、弱点を言えば、彼は大のギョウザ狂で、人を見ればすぐにギョウザを食べに誘うことである。しかし、不思議なもので、今ではすっかり感化されてしまった他のメンバーが逆に彼を誘うようになってしまったのである。ここに至って、ザ・リガニーズの練習は一にも二にも中華料理屋のノレンをくぐることから始まるようになってしまったのである。
 横浜の住人。最年長者として、後輩の面倒をよく見、今日までグループをまとめてきた功績は大きい。
 蛇足ながら、1969年3月早稲田大学を卒業する彼は4月より東芝音楽工業に勤務する。
 早稲田大学で最もギターが上手いといわれるだけあって、そのテクニックは相当なものである。勿論、彼がリードギターを担当しており、ザ・リガニーズの編曲はほとんど彼がやっている。高校時代にブラスバンド、大学に入ってからもオーケストラのベースを弾いていただけあって音楽的に非常に優れている。
 音楽的に厳しい反面、人間的には気さくで、間の抜けたところさえある。その調和が、非常に素朴な感じで魅力的なのである。
 埼玉の住人で、毎日ポンコツ車で学校へ通っている。好物は勿論ギョウザであるが、その次に好きな物はポテトチップである。百キロを越すスピードで第三京浜を走っている時、後ろの座席で食べているポテトチップ欲しさに、片手でハンドルを持ったまま完全に後ろ向きになってしまうのには閉口する。
 趣味はボーリング。レコード・ディレクター志望。

 あけっぴろげで、おおざっぱな明るい性格は万人に好かれ、舞台では、常に三枚目的な役割で観客を喜ばす。桜井長一郎。コント55号を尊敬するという彼の入る所、常に笑いがある。
 反面、几帳面で、細かい仕事も奔走して行う。合宿での料理も彼に負う所が多い。グループになくてはならない存在である。
 ザ・リガニーズの所属する早稲田大学フォーク・ソング・クラブの副幹事長も務めている。何事にも要領を心得ていて、授業をサボル割には、単位の方もきちんと取っているようである。
最近、彼はいつも背広の下から黒いチョッキをのぞかせている。ちょっとした紳士きどりであるが、彼が着ると変にキザに見えないから不思議である。とにかく彼は純粋な好青年である。

 「ミッチャン」の愛称で親しまれている吉田光夫は、リガニーズ最古のメンバーの一人である。こんなところにも、外見からは想像できない根性の一端をうかがうことができる。
 彼は、ギターは勿論、バンジョーも弾きこなす恵まれた才能の持ち主である。また、普通の人にはとうてい期待し得ない程の高く澄んだ声を持っている。
 彼は議論を余り好まない。終始おとなしい。けれども、すること成すこと理路整然としているのである。 不思議な男である。山の好きな彼は、夏でも冬でも休みを利用して霧ヶ峰の山小屋に住み込み、小屋の手伝いをしている。そこに居る大きなコリー犬と仲がいい。
 彼は猛烈な大食いで、朝起きて四杯のどんぶり飯を食べたのは有名である。やたらと相撲に詳しいので問い直したら、昔、相撲取志望だったことを白状した。

 結成以来、リガニーズに力を尽くしてきた渡辺真木雄に代わって、昨年の秋に登場してからひたすら頑張り続けている常富喜雄は、リガニーズのメンバーにふさわしい気持ちのよい青年である。
 ザ・リガニーズに新しく仲間入りする者は、彼を除いて他に居ないと言われていただけあって、ギターのテクニックも文句なし。作詞作曲の方でも大いに張り切って期待に答えてくれている。
 彼は文学が大好きで、楽屋でも出番のあい間などに文学全集に夢中になっているなっている姿をよく見かける。
 「オレは、何か一つバカでかいことをやらないうちは絶対に死なないのだ」と日頃、口にするだけあって、やることは情にも似あわず大きいのが特徴である。彼は毎週木曜日を首を長くして待っている。それは「少年マガジン」の発売日だからである。

 
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